サーキュラーエコノミーへ向けての実践とエコシステム構築
サーキュラーエコノミーへ向けての実践とエコシステム構築
本フォーラムでは、京都におけるサーキュラーエコノミーの実践者らへの支援を強化し、その活動をさらに広げるための具体的な施策を探ります。多様なステークホルダーが、未来の社会像を浮かべて有機的に連携することにより、個々の力を結集し、都市全体のレジリエンス向上を実現するための具体的なアクションプランを策定します。
Impact Hub Kyotoのある西陣産業創造会館は、1921年に建築家 岩元禄によって設計されました。肺結核のため、29歳の若さで世を去った建築家の、現存する唯一の作品です。その建物で、岩元禄に影響を受けた分離派建築会の研究会が開かれます。建物とともに、大正ロマンに思いをはせながら、研究会に参加されてみてはいかがでしょうか?
Impact Hub Kyoto
建築と芸術―分離派建築会は、様式建築から建築を解き放ち、自由な創作すなわち芸術としての建築を希求し日本のモダン・ムーヴメントにおける先駆者とされた。しかしもしも芸術性の追究が過渡期的存在との眼差しを得たとするならば、ここで再検討しておく必要もあろう。例えば自由な造形性-曲線や曲面、自然の造形―それはコンクリートなど新素材・新技術と共にあったはずだからである。
建築と絵画との関係はル・コルビュジェがよく知られるが、ここでは彫刻との関係に注目したい。白樺派は先立つ 1910 年代にロダンを紹介し、彫刻にも建築 にも影響を与えた。若き分離派建築会メンバーも建築作品において建築の結び付きを意識化したが、その先鞭を付けたのは岩元禄の作品であった。また蔵田周忠は彫刻の新潮流を『ロダン以後』に著した。彼らの創作や造形に対する意欲が、分離派結成の原点と呼べるかもしれない。その姿勢を仮に「彫刻的なるもの」と呼び、近代彫刻の専門家との討議からテーマを深めていきたい。
主催 分離派百年研究会
2019年5月25 日(土)13:30-
参加費無料/申込み不要(定員 70 名)
於旧京都中央電話局西陣分局
(現西陣産業創造会館)京都市上京区甲斐守町 97 番地
問い合わせ:京都大学大学院 田路研究室
E-mail: tajilab.kyoto @gmail.com
本橋仁 京都国立近代美術館
田中修二 大分大学
13:45-14:30
江戸時代からの大工彫刻、明治前期の工部省による美術学校開設など、近代日本彫刻史は建築との関わり抜きに語ることはできない。そのなかで大正~昭和前期とは、彫刻と建築が造形性や思想の面でとくに接近した時代としてとらえられる。その様相について、明治後期から彫刻界で指導的役割を担い、個人的に伊東忠太や塚本靖、関野貞らと交流のあった新海竹太郎、昭和初年に彫刻家団体「構造社」を結成した齋藤素巌と日名子実三を中心に考察する。
大宮司勝弘 東京家政学院大学
14:30-15:00
明治期の装飾建築の受容期を終え、分離派建築会メンバーは新たな創作方法の模索に力を入れていた。メンバーの一人である山田守は「装飾」に代わる創作法に、曲線や曲面を備えた「マッス」による表現を試み、それを生涯に渡り進化させてきた。最晩年の京都タワービルはその到達点といえるだろう。一方で山田は時代に求められた「合理主義者」でもあった。その調停の手法についても明らかにしたい。
菊地潤 オガワホーム
15:15-15:45
1922 年から約1年間、石本は西欧各地を巡り建築の新潮流への確信を得て帰国した。渡欧の足跡を『建築譜』又は同行者 仲田定之助の『ベルリン日記』などを頼りに辿れば、それは表面的な受容などではなく、第一次大戦終戦後ドイツの渦中に身を置き、近代の光と影を体感しつつその本質を掴み取ろうとした石本の姿が浮かび上がる。その核心部分は同氏がドインで購入し愛蔵し続けたヘルツォークやレームブルックの彫刻作品が湛える感情とも通底しているのではなかろうか。
天内大樹 静岡文化芸術大学
15:45-16:15
分離派研究会が建築の「芸術」性を掲げて活動を開始したとして、それはどのような「芸術」だったか。野田俊彦による攻撃対象としての「芸術」は装飾から自己表現にまで及ぶため揺らぎを認められるが、分離派の旗印としての「芸術」にも6人各々の見解と展開があり、また主に建築構造、日常生活階級闘争の3点から、歴史上その旗が色褪せていく。しかし理論上、実はその3点にこそ、建築独自の芸術、表現、創作があり得たという可能性にまで言及したい。
パネリスト :田中修二、天内大樹、菊地潤、大宮司勝弘
モデレーター:田路貴浩
16:30-17:30
山田守の担当した逓信建築の設計図面と写真
田路貴浩 京都大学